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料理人の年末年始!

執筆者の写真: 鈴木ひでひと鈴木ひでひと


遅ればせながら皆様新年あけましておめでとうございます。すでに七草も過ぎ鏡開きをなさる方、またそろそろ小豆粥の準備も…という声も聞こえてきそうな時期になりました。


お越しくださいましてありがとうございます。いやぁ寒い日が続いていますね。みなさまは体調など崩していらっしゃいませんか?アタクシはもう、アレです。寒い本館の刺身場で震えながらドテラ着こんでお刺身切ったりしてますよ。あぁイヤ、ドテラは冗談です、冗談。


令和も4年になり、世界中を先行きの見えない不安に陥れているコロナ禍になってもうすぐ2年になろうとしています。行政、医療、感染症専門家などのご尽力もあるのでしょうが、まだまだ収束にはほど遠く、変異株の出現により第6波が起こり始めています。


ここでコロナ対策やその他の部分に言及するのは、一料理人のブログには沿わないと考えていますので意見は差し控えますが、一日も早く収まるのを願うのは誰しもが思うところでしょう。



天宏では昨年末もおせち料理のご注文をいただき大晦日までお支度してお渡ししておりました。三が日はお休みをいただきましたが、料理人の年末年始はお店によって随分と変わると思います。今日はアタクシの焼津での修業時代の年越しのお話を致しましょう。


以前もお話しましたが、アタクシの修業先の焼津市の「三州屋温石」さまは茶懐石料理とお蕎麦屋さんの2店舗をなさっていました。


お蕎麦屋さんの年末といえば「年越し蕎麦」これがもう半端ないほどのご予約をいただくワケですな。アタクシは一年目からお蕎麦屋さんの方の天ぷらをしっかり教わりまして、暮れになる頃にはまぁまぁ形になるかなぁといった感じにはなっていたように思います。そして初めての暮れが近づきまして、親方からしばらく蕎麦屋手伝ってあげてくれと言われました。それがクリスマス過ぎの27日頃だったと思います。どんな手伝いかと思いましたら、年越し蕎麦に使う海老を仕込んでいくわけです。


余談ですが、その当時にあったかどうかはわかりませんが、今では冷凍エビも下ごしらえを全て終えて真空パック冷凍してあるものが売られています。これは、らくちんですよ。解凍するだけですからね。そうでないもの、つまりこちらで下ごしらえをする海老は、殻をむき尾の水抜きと剣と呼ばれるとがった部分をとり、背ワタをとって揚がりがまっすぐになるように腰をおります。一本につき5つの工程があるのです。この手間がいらないわけですから楽も楽ですし、微妙な力加減が必要とされる腰折りの技術もいらない。


ですが、美味しくない。もうこれは確実に美味しくない。プリプリとした食感もありませんし海老の味も随分ぼやけています。仕入れ先に聞きましたら今では半数以上の取引先が仕込み済の海老を使っているようです。ここまで言って実は天宏でも仕込み済みを使ってます、なんてことはありません。本館でも椿でもキチンと手作業で板前が仕込んでいます。どうぞ食べ比べてみてください。





      ↑別館「椿」の海老天丼 漬物、お味噌汁付きで1350円です。



本筋のお話に戻りましょう。


三州屋さんでも一本一本手作業で下ごしらえをしていました。多分食事とか以外はずーっと海老仕込んでいたように思います。で、次の日の午後くらいから今度は揚げるのも加わります。お蕎麦屋さんの海老天ぷらは独特で、衣をしっかりとまとわせます。長さを長くするのではなく、まさに衣を重ね着するように太くするわけですな。そのために天ぷら鍋は斜めに傾けられて、揚げ箸か小さなお玉で衣がかたまらないうちにまとわせるのです。ですからここでも一本一本、キレイに花が咲いたようにしければいけませんから、それなりに時間がかかりますね。


そして数を揚げれば油は少なくなり、また劣化していきます。色もついてきます。10本20本という数ではそんなことはないのですが、腕前が未熟だと揚がりの色にムラがでるわけです。少なくなった油に新しい油を足すと白っぽくキレイに揚がります。ここでムラになる。ですからどのタイミングでどのくらい油を足すかというのを見極めるのも腕の一つになるのです。


いやぁ、コレ。なかなか苦労しました。温度の調節に油の量、いろいろ気を配っていなければムラになってしまいます。そんなにたくさん揚げることは年越し蕎麦くらいしかありませんでしたから、貴重な経験でした。きっと御先祖さまやお料理の神様がいい機会を与えてくれたのでしょう。


そんなこんなで大晦日までは海老と格闘する日が続いて、いよいよ大晦日当日。お店はお休みして配達のみの営業、メニューも、かけ蕎麦、天南そば、天ぷら蕎麦だけでしたが、まぁ忙しい忙しい。天ぷら鍋に付きっ切りでしたがお昼時だけかとおもいきや、なんと午後3時でもお蕎麦の配達の注文が入っていて、ビックリでした。座ってのんびりお昼ご飯を…なんて時間はなくってちょっと時間を作っておにぎりを食べていましたね。夕食時はもっとスゴイ。見たこともないくらいの伝票の数。でもびっくりしてるのはアタクシだけで、お蕎麦屋さんの職人さんやおばさま達、親方のご両親などは黙々とこなしていました。さすがはベテラン、何十年と経験してきた歴史があります。


紅白も終わりに近づいた時間、11時過ぎくらいだったでしょうか?出前の器を下げに行きラジオで紅白を聞きながら「やっぱりお蕎麦屋さんの年越しはスゴイなぁ」と痛感したのを覚えています。


片付けが終わり一息ついたのが日付も変わる頃。文字通りの年越し蕎麦をみんなでいただきましたが、いやぁ美味しかった。疲れた体に温かいお蕎麦が染み渡りました。お蕎麦屋さんのご主人、親方のお父様に「英ちゃんがずっと天ぷらあげててくれて助かったよ。いつもは揚げる人がいないから仕方なく揚げ置きしていたけど、今年の天ぷらはきっと美味しかったと思うよ」と労っていただきました。本当に嬉しかったですね。まだまだ未熟でしたがそれなりにみんなの役に立ち、お客様が喜んでくれたと思うとほっと安心しました。


そして「そうだ、まだ天ぷら余っているから英ちゃん食べな」と言われたのですが、いやぁこんなに何日も天ぷら揚げたのは初めての経験で、さすがにもう食べなくてもお腹いっぱいでお断りしたのを覚えています。もちろん天ぷら屋の倅ですから天ぷらは好きですがこの時ばかりは、もう食指がピクリとも動きませんでしたね。


三州屋温石さまには7年ほどお世話になりましたが、たぶん3年目の年越しくらいには体も慣れてきて美味しく年越しの天ぷら蕎麦をいただいていたように思います。


お蕎麦については、東京での修業でも新しい経験をすることになります。そしておせち料理、茶道の初釜など和幸さまでの修業のお話はまた機会を改めることと致しましょう。


今日もここまでお読みくださってありがとうございました。この次にお会いする時まで皆様にステキな事がたくさん訪れますように。それでは、また。ごきげんよう。








 

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