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  • 執筆者の写真鈴木ひでひと

初釜の思い出

お疲れさまです。


立春を過ぎまして、ほんの少しではありますが春の雰囲気が感じられるようになってきた磐田市です。皆様お住まいのところ、またお心を寄せていらっしゃるところのお天気はいかがでしょうか?お越しくださいましてありがとうございます。早く暖かくなってくれるといいなぁと思っている、寒さがニガテなひでひとです。


さて、この時期都内では雪が降ることがあります。東京目白での修業時代、この季節の雪はとても大変でした。今日のブログは「板前昔話」として、お正月からこの季節の恒例行事「初釜」についてのお話でございます。


「初釜」というのは新年の始めに催される茶会のことで、アタクシがいた和幸さんでは各家元への出張の大寄せ茶事のお料理を任されておりました。遠州流宗家様を主に江戸千家様などに分かれて出張、つまりお材料はもちろん、鍋窯包丁なども持ってお家元のところへ馳せ参じるわけでございます。


そして、全国のお弟子さんが家元への新年のご挨拶をするわけですから人数も多くお料理も新年を寿ぐ華やかさがあり、人数は一日で100人弱ほど、それを一週間から10日間ほどに分けて行われます。大人数ですので略式の茶懐石になり、向付、大徳寺重盛、椀物などをご用意します。大徳寺重には点心と物相型のご飯が入りますが、ご飯も早朝に炊いて店である程度の数を型押しして持っていきます。冷めないように工夫をしまして、残りのご飯は保温櫃に入れていきます。


椀物の御出汁も早朝にひいて大きなホーローの寸胴に入れていくのですが、このホーローを使うのも理由があり時間経過での味の変化が金物よりも少ないからだそうです。一日で100人ほどのお客様をこなすのですが、一度に出るのは10~15名。最初と最後で御出汁の味が違ってはいけないという「和幸」主人、高橋一郎氏のお料理とお客様に対する熱意が感じられます。


さて、そんな忙しい初釜のシーズン。睡眠時間も少なく銭湯が終わってしまうこともしばしばな日々でした。アタクシが初めてのシーズンの時、おやじさんと他の若い衆が出張にでかけアタクシはまだ不慣れな事もあり、若旦那、奥様と留守居を任されました。後片付けをしていると出張先から電話が。奥様がおっしゃるには、おやじさんがアタクシをお呼びとの事。


あ、おやじさんとは主人である高橋一郎氏のことです。和幸では、親方とかではなく「おやじさん」と呼んでいました。


携帯電話も無い時代、急いで電話に出ますと忘れ物があったから届けてくれとの事、いやぁ困りました。まだ東京にきて日が浅い田舎者、右も左も分かりゃあしません。


安易に「はい!」って言えませんので、「おやじさん、場所が分かりません」


と言いましたら、なんとおやじさんは「お前、何年東京にいるんだ!どうして分からないんだ!」と一声。これには「いや、ついこの間来たばっかりで…」なんて言えませんので、ただもう「すみません、すみません」の繰り返し。結局は電話の内容を聞きつけた奥様の配慮で若旦那が届けてくれることになりました。


いやぁ、今思い出しても笑えるやらドキドキするやらなんですが、急ぎ出かけていただいた若旦那には感謝感謝でしたね。


さて、出張から戻った面々に話を聞くと、どうもおやじさんはアタクシと入れ替わりに和幸を卒業した方と勘違いされていたようです。10年在籍した方と勘違いするのもアレだと思うのですが、どうもアタクシが焼津時代に幾度かお邪魔したのと一緒になったんでは??という推測に落ち着きました。和幸、高橋一郎氏、女将の和様が亡き今では、その時の事は知るよすがも無いが寂しい限りです。


この頃、まだ遠州流のお家元は先代の小堀宗慶様でいらっしゃいました。おやじさんのお供で連れていっていただいたお茶事では、アタクシ達には触らせていただけないような貴重な器を使い、お家元としての威厳があり若造から見ればとてもとても畏れ多い存在でした。


おやじさんがいつか話してくれたのですが、そのお茶事に使う鯛を選んでいただきに行かれたそうです。お客様は道具屋のご主人と美術館館長、そして懐石料理店のご主人。


この場合の「お客様」とは小堀様がお招きする方で、どの方も有名な方なのですが、アタクシもはっきりと覚えていませんので、お名前などは省略させてくださいね。


ひとつは築地から仕入れたもの。もう一つは珍味屋を通して仕入れたもの。同じ瀬戸内の産だったそうですが、お家元は迷うまもなく珍味屋ものを選ばれたそうです。おやじさんは「やはり、お家元の味覚の鋭さはさすがだなぁ。同じ瀬戸内ものでも、場所によって味が違うからな」とおっしゃっていました。珍味屋ものはおそらくですが単価も高く、また漁場も潮が強かったり餌がよかったりと、好条件の揃ったところで、漁師さんの釣った後の処理も的確なのだと推察します。


その味覚が鋭いお家元の御眼にかなって和幸は遠州流家元お出入りの料理人となったわけでありますので、おやじさんの腕も確かだということが伺えます。


このようなお客様をお招きしてのお茶事では、亭主であるお家元のお手伝いは高弟がつくそうですが、二人のご子息がその役をなさっていたようでした。そのご長男が今のお家元の13世小堀宗実さまです。アタクシが天宏に戻ったあとも幾度か和幸さまへお手伝いに行くことがあったのですが、そこでお家元がおやじさんにおっしゃった一言が今でも思い出されますが、それはまた後日のお話と致しましょう。


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今日もここまでお読みくださってありがとうございました。この次にお会いする時まで皆様にステキなコトがたくさん訪れますように。それでは、また。ごきげんよう。




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