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  • 執筆者の写真鈴木ひでひと

あの一言

お疲れさまです。


おぼろげながらにもそこかしこに春の雰囲気が漂い、また「三寒四温」が繰り返されながら、僅かですがしっかりと季節は移ろっていきますね。まさに「冴え返り冴え返りつつ」

春が色濃くなっていく時節でございます。


お越しくださいましてありがとうございます。ここ10日間ほど腰の具合がよくないひでひとです。いやぁ年甲斐もなくカワイイ子猫ちゃんと戯れすぎるのも考えものですな。



さて、前回のブログ記事の回収です。遠州流茶道13世家元、小堀宗実さまの「ある一言」のお話です。


和幸を卒業して天宏に戻りましてからも幾度かお手伝いに伺った事がありました。東茶会と呼ばれる東京美術俱楽部での500名超えの大寄せや、年末のおせち料理、初釜茶事などで、このお手伝いには和幸時代の同期や先輩、後輩が揃いちょっとした同窓会の体でしたね。とは言いましても、お手伝いに伺うということは本体はそれなりに忙しい。アタクシが和幸にいた時も同じような事がありました。


そして初釜で伺った遠州流での事。和幸のスタッフに紛れて盛り付けなどに追われているところにお家元がお越しになりました。おやじさんも、また私たちも「本日もよろしくお願い致します」とご挨拶申し上げました。アタクシ、久しぶりに拝見した宗実家元のお姿をちらと見て、すぐに手元に視線を戻しました。おやじさんとお家元は今日の事を話していたと思うのですが、そこでお家元が


「ところで和幸さん、私、あの若い人に見覚えがあるのですが」


あの若い人(当時)がアタクシの事とは気づくには少し時間がかかりました。お家元の言葉におやじさんは


「あぁ、彼は昔和幸におりまして。今は静岡でお父さんと一緒に、大きなお店でがんばっているんです。」


ん?


この一言で自分の事か!と気が付きました。手を止めてお家元の方に向き直りきちんとお辞儀をして無言でしたがご挨拶しました。初釜がひと段落して帰郷する時に、お家元はよくアタクシの事が記憶に残っていらしたものだなと思いました。そもそもアタクシは和幸に5年ほどしか在籍していませんし、遠州様へのお茶事に同行させていただいたのもそんなに多くはなかったと記憶しています。


これはアタクシの勝手な推測ですが、出張にいっても相当にポンコツでおやじさんによくご指導いただいておりました。忘れ物をしたり段取りが悪かったり。おそらく当時のアタクシを見て、「今度来た若い子は随分と和幸さんに叱られているなぁ」と思われていたのではないだろうか?それが記憶として残っていたのでは?と思うのです。


ですが、いや、コレはホントに手前味噌でおやじさんに笑われそうなのですが、やはり先代のお家元、高弟の方々、そしてご子息さまには出来る限りきちんとご挨拶するように心がけていました。いくら仕事がポンコツでも挨拶くらいできなければ、和幸の弟子としておやじさんに恥かかせるわけにもいきませんからね。その印象だったら良いんだけどなぁ(苦笑




時間が前後しますが、和幸時代には先代のお家元からおやじさんを通じてお褒めの言葉を頂戴したことがありました。やはり、出張でのお茶事での事。アタクシも連れていっていただいたのですが、このお茶事の時に遠州流では「水栗」と呼ばれるものを使います。生の栗を巴 ともえ に剝いて水に漬けてお客様に召し上がっていただくもので、毒消しの意味もあり、主菓子の前に出されます。


アタクシが在籍した当時、若い衆は5~6名おりましたが、なぜか水栗剝くのはアタクシの専門。他のみんなは、5日間ほど続く出張茶事の翌日の準備やらで追われているのですが、おやじさんが「お前は集中してコレ(水栗)をやれ」と言われましたので、もうかかりきりです。その出張茶事は一日は5~6名ほどですが、使う素材は高価なものばかり。仕込みにも気合が入ります。その様子を横目にひたすら生栗を丁寧に根気強く剝いていくのです。


遠州流茶道出張茶事の最終日も終わった時に、おやじさんが


「ひでちゃん、お家元に水栗の事を聞かれてな」


いやぁ、コレ、忘れもしませんが、本当にドキドキしました。誰がやったんだ、あれではちょっと恥ずかしいぞ、なんて言われたらおやじさんになんとお詫びしたらいいのだろう?次の言葉が聞けるまで落ち着きませんでした。


「誰が剝いたんだ?と聞かれて、初めてやらせてみた子ですがどうでしたでしょうか?と言ったんだ」


ドキドキ


「そうしたらお家元は『なかなか上手に剥けている。伝えておいてくれ』との事だったぞ」



おやじさんはうれしそうにそう言ってくれました。アタクシは褒められた嬉しさよりも、安堵した気持ちが先に立ちました。おそらく温石さんからも、そこそこ包丁が使えるからと連絡があったのでしょう。試しにやらせてみたら、まぁまぁの出来なので少し修正すれば使えそうだとおやじさんも思ってくれたのかもしれません。



おやじさんが存命の時に「これはひでにやってくれ」と水栗の見本を残してくれてあったそうです。名前まで大きく書いていただいて。ポンコツな若い衆でしたのに、ここまで気に留めていただいていて本当に恐縮するばかりです。






お亡くなりになった時にその話を伺って『これを見て和幸での事を思い出し、何かの時にはまた』そう言われているような気がして胸がいっぱいになり言葉が出ませんでした。





なんだか、まとまりの無いお話になってすみません





今日もここまでお読みくださってありがとうございました。この次にお会いする時まで皆様にステキなコトがたくさん訪れますように。それではそれでは、また。ごきげんよう。










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