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  • 執筆者の写真鈴木ひでひと

板前昔話

更新日:2021年11月9日

お疲れさまです。


随分と日暮れが早くなり、もう夕刻も5時を過ぎますと一気に暗くなりますね。祖母がよく「秋の日は釣瓶落とし」と言ってすぐ暗くなるから、早く家に帰ってきなさいと言っていた事を思い出します。それでも、アタクシは明るいうちに帰宅していましたよ。えぇ、今も昔もお利口さんですからね。


お越しくださいましてありがとうございます。ひでひとです。


さて。


以前のブログでアタクシの修業先のことをお話しました。と言いましてもずいぶん昔、かれこれ25年は過ぎていて『昔話が多い人ほど老いた証左』というらしいですが、知ったこっちゃありません。昔話上等ってカンジです、ハイ。



東京目白「茶懐石 和幸」のご主人である高橋一郎さまに、アタクシ「どこの誰がお見えになるか分からないから、身なりは『あぁこのお店の人だな』と分かるようにしなきゃあいけないよ」って教わりました。それでも家に入ってすぐの頃は物の置き場所も仕事の流れもわからない状態で、若い板場衆にいろいろ聞きながらの毎日、それが年月が経つにつれて、アタクシより新規の者が入るようになると、いつまでも新参者ってわけにもいきません。まがりなりにも「店の人」なので、白衣の下にワイシャツネクタイというスタイル、これは焼津の温石、杉山元幸さま、前述の高橋一郎さまも同じスタイルでした。


ご存じのかたも多いかと思いますが、天宏の大親方アタクシの実父は作務衣です。まぁコレも良いといえば良いんです。動きやすいですからね。アタクシも作務衣の頃もありましたし今でも着るときもあります。それが家にある着物を着るようになって。父や祖父のおさがりの着物やいただきものを着るようになりました。


和幸、高橋一郎さまは生前テレビの収録の時には和装がほとんどだったように思います。お店での場合は白衣にワイシャツネクタイでしたが、スタジオ収録だと濃紺の筒袖の着物に着替えていました。NHK「男の食彩」「今日の料理」でしたね。短い期間でしたが、こういう収録に同行させていただいたのは貴重な経験で有難く思っています。


この筒袖の着物、実はアタクシも持っています。あ、おやじさん(和幸の板前は主人の事を「親方」とは呼びませんでした)のおさがりではなく、祖父か父のものですね。で、おやじさんの修業先というのが、当時東京に出店した京都の「懐石 辻留」辻嘉一氏でした。辻留さんも雑誌、テレビなどでは必ず筒袖の着物だったそうですな。おそらくおやじさんはその姿に添うことで尊敬する辻留、辻嘉一氏の面影を見ていたのかもしれません。


アタクシの場合、板場では着物の上から前掛けして甚平タイプの白衣を着ています。まぁ天宏でこの格好してるのは一人だけで、しかも別館「椿」にはTwitterのご案内に「日々料理日々和装日々ぐうたら」なんて書いてますので、お店の中をうろちょろしてるとお分かりいただけちゃうんじゃないかなぁと思っています。これも師の教えであります「お客様に失礼のないように」と、まぁ人が見て、その見栄えがいいってますかその辺りですな。ちょいとばかり出てきたお腹も貫禄がって言ってもらえるし短い足も見えないし。(笑)



天宏の板場の者もそれなりの格好をさせてます。最近では夏場は暑いのでポロシャツとかですが、Tシャツのような襟無しではありません。襟って重要ですよね。しかしながら、他所のお店を上がって天宏に入って来た者には、白衣はシワだらけで中のシャツの首元はヨレヨレ、挙句の果てには無精ひげに片付けができないっていう、お寿司屋さんアガリの若いのもいました。もちろんそりゃ一通りの事はできますよ、10年やっててできないってんなら板前辞めた方がいいですもん。人並ですな、言ってみれば。


で、身なりがキチンとしてないってんで聞いてみたら寿司屋さんでカウンター仕事もしてたってんですから。そこのお店でもそんな感じっだったの?って聞いてみましてもみんなそうだったてんです。いやぁアタクシびっくりしました。件のお店もネットで情報発信していてちょいとみてみたら、若ご主人は金髪の短髪でヒゲだったんで、もう2度びっくり。アタクシの感覚が古いんでしょうけど、そういう部分でもご指導いただいた身からすれば、びっくりするばかりでしたね。


温石さま、和幸さま両店ともにカウンターはなくお客様は個室でというお店でした。しかし、どちらのお店でも「清潔な身なり、失礼のない服装」は料理の技術以前にご指導いただきました。それはおそらく「出張料理」を行っていたというのも関係するのではないかと思います。料理人はご自宅に呼ばれて、お台所でお料理しておもてなしのお手伝いをするのですが、出向く先は名の通った会社の社長宅とか茶道の高名な先生やお家元だったりするわけです。そうなるってぇと無精ひげなんてのは論外ですな。もう普段からキチンとしてないヤツは出張連れてってもらえないんです。もちろん留守番も立派な仕事、皆が帰ってくるまでにやらなきゃいけない事はたくさんありますから。


まぁ、こういう昔話は新しくカテゴリー作りましたので、ぼちぼちとお話することと致しましょう。こうやってWEB上に残しておくことで、どこかで誰かの役に立つかもしれませんし、それが反面教師としても無駄ではないことですからね。


そうそう、つるべおとしって検索すると「鶴瓶」師匠が出てきました。いやぁ有名人は大変ですな。ついでですが歌舞伎に「籠釣瓶花街酔醒 かごつるべさとのえいざめ」えいざめって言いますが「酔い覚め よいざめ」なんでしょうなぁ、これは。吉右衛門丈の佐野次郎左衛門、玉三郎丈の八ッ橋、梅玉丈の繁山栄之丞が良かったな。


「花魁、そりゃあんまり袖なかろうぜ」


シネマ歌舞伎では、勘三郎丈、玉三郎丈、仁左衛門丈ほか豪華な顔ぶれです。


今日もここまでお読みくださってありがとうございました。次にお会いする時まで皆様にステキな事がたくさん訪れますように。それでは、また。ごきげんよう。







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